「生と死」

2002年3月4日
今日、小論文の勉強で面白い文を見つけました。

なんか「生と死」の定義についての文なんですが。
内容は
『何故、人工妊娠中絶は認められるのに安楽死は認められないか?』
というもの。

なんででしょうねー?

私の友達で人口妊娠中絶をした人がいます。
それを最初聞いた時はかなりショックだった。
しかも人伝に聞いたから余計に。
本当信じられなかった。
だってその頃『妊娠』するってことについてそのコは「中絶って信じられないよね。するのはいいけど、気をつけろって!」って言ってたから。
だからこそ余計ショックだった。
しかも進路が助産婦だから余計に。

最初はねー、人格疑っちゃった。(^_^;)
でもたぶん、すごいすごい悩んだんだろう。
教えてくれた人が言ってました。

「随分両親ともめたみたいでね、相手の親もでてきて親同士が喧嘩になったりしたらしいんだよね。で、本人は生む気だったんだけど結局風邪って偽って中絶したんだ。学校にはばれてないけど。」

って。
いやー・・・すぐ身近にいるとは思わなかった。
そういう体験した人。

私は基本的には人工妊娠中絶は反対。
そういう行為をすることは別になんとも思ってないけど、でも皆そうなるってこと理解できるでしょ?
気をつけろーって言いたい。

自分勝手に『命』をリセットしていいの?
例え人の形をしていなくても、自然に居ればいずれ「人」として権利を与えられるのに。

でもやっぱり高校生が育てるのには無理がある?
普通の親なら生ませないだろうなあ・・・。

でもこれを許すなら『安楽死』も許しちゃいけないんでしょうか?
例えば植物状態になった人は果たして本当に『生きてる』ことになるのか??
考えるって行為は「人」として「生きてる」ことになるのかなあ??
私だったらさっさと楽にして欲しいけどね・・・。
でも「楽にして」とも考えられなくなるわけで。

そうなるとやっぱり第三者が加わるんですよね。
『植物状態で治る見込みがなくても息をしてるなら生かしてあげたい』
っていう人のほうが多いのでは??

でもそれってどうかなって思う。
装置をつけなかったら死んでしまうのに。
(例外もあるけど)
そんなの自然じゃない。

こういうのってその人に将来が残されてるか残されてないかで決めちゃ駄目なのかなあ?
臓器移植だってこういうことが関わってくる。

「人として生きていける」人を優先すべきでは?

・・・・よくわからなくなる〜。
何が正しいとかそういうんじゃないんだろうね。
人の命になんてそんなもんか。

小論って難しい。(^_^;)

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